緊急お知らせです!

緊急お知らせです。

淡路島東浦ターミナルパーク道の駅

たこ姿焼「やま高」は4月29日~5月6日まで

休業致します。

どうかコロナに負けないでお身体ご自愛ください。

 

4月から短縮で乗り越えてきましたが、ご来店のお客様、従業員とその家族を

守るため断腸の思いです。

たくさんの方々に愛されている「たこ姿焼」だけに残念ですがご理解くださいませ。

 

 

 

ぺルーの古都「クスコ」です。

こんにちはお久しぶりです。

インカ帝国の政治・経済・文化の中心の
ぺルーの古都「クスコ」です。



この城壁スペイン人の侵略を防ぐため?
正にカミソリ一枚も入らない精密さ
エジプトのピラミット中にもありましたよ。



インカ帝国」標高3,000mを超える

酸素薄く、高山病を防ぐため「コカ茶」(飲む酸素)を
何倍も飲みます。これ美味しんですが持ち出し禁止で
出国の時麻薬犬に座られちゃんだって

ペルーの首都クスコに戻るとき、「イモトアヤコ」が
泣きながら登った天空のホテルの下に止まってくれて
断崖絶壁をロッククライミングで登って行く方の姿をみました。
見ている方が怖くなります。

山岳地方は日干しレンガを積み上げて壁にしています。


一番の注目は
「インカ・ロカ通り」の石組です。

精密な石組です。


上と下はマチュピチュの石組です。


これはイースター島のモアイの台座です。
この台座の真ん中にある小さい石、
18年前に行ったエジプトにもありました。
その時イースター島にも同じのあるよと言われて
それが見たくてやってきました。

時代が違い、場所も離れていても
同じような石組してるね。不思議に思います。
このマチュピュツの旅はそれを確かめる事でした。
18年前エジプトへ行って、
ピラミットなどの遺跡を見た時、とても人間技とは思えなくて
超古代に高度な文明を持った古代人がいたのではと思っています。

憧れのマチュピュツへ行ってきました。

こんにちはお久しぶりです!
憧れのマチュピュツへ行ってきました。
20年ぶりの夢が実現しました。



登頂の日記念すべき「2018年1月1日」でした。



オリャンタイタンボ駅から
マチュピュツ村へ列車「ピスタドーム」に乗る

マチュピチュ村に電気を引いたのは、日本人の「野口さん」
初代マチュピチュの村長さんです。この村とても親日です。


マチュピュツ村到着、そこから日本で言う「いろは坂」のような
ヘヤピンカーブ道を上り詰めると







太陽の門後ろにマイナピュツが見える





  

標高2,400mの天空都市でも水汲み場や水路が作られていて
今も水が流れている。

「インカ道」物流の中継地?
この山岳地帯飛び回っていたんだと
なんと健脚であろうか


東西南北を示す三角の石

 

神殿ですがここの石組興味深々です。

3つの窓の神殿。相似形ですよね。これ1つの目的だったの

「インティワタナ」
マチュピュツで最も高い位置ある巨石を削った日時計

マチュピュツ村に着いた日は31日で、カントダンが始まる
午後8時頃から大雨が降り出したけど、雨の中音楽が鳴り響いていました。
観に行きたかったけど、明日の登山に万全きすため
ベットのなかで、新年を祝う打ち上げ花火を聞きながら眠りにつきました。

神秘のモアイに逢いにイースター島へ

こんにちは、お久しぶりです。
20年越しの夢が実現しました。


神秘のモアイに逢いにイースター島


成田からロサンゼルスに11時間、
ロスからチリの首都サンチャゴへ11時間
そこからイースター島へ6時間かけて
モアイ像に会いに行ってきました。命がけです。(笑)


「アナケナビーチ」砂に埋もれていたので保存状態がいい。






全てのモアイは内陸向きに立って各部族を見守っているのですが、
ここだけ「アケビ」だけ海に向かっている。
やはり春分秋分に太陽が沈む方向で天文学的意味が
あるのかもって?現地ガイドさんのお話しです。





一番人気の「トンガリキ」海を背に15体のモアイが
一直線に並ぶ。
1960年チリ沖地震津波によって流されてしまってけど、
日本企業の協力で復元した。(1995年)





朝日を浴びるモアイ像



夕日に照らされている山が石切場
火山灰が蓄積した凝灰岩で、ここで加工されて
島中に運ばれていった。
「モアイは歩く」?





世界の縮図って言うか終末を想像してしまいましたよ。
このイースター島はたった周囲60キロの小さな島は
かって自然豊かな大地だったと思います。
食べるのに困っていないから、
各部落が競い合い巨石を1,000体も作る事が
出来たのだと思う。
しかし何らかの理由で食料の争奪で戦争になり、
部落の象徴である「モアイ像」倒し始めた。
この島どの山もハゲ山です。









研究で頭の下の大きさを掘り下げた時の写真です。
20メートル近くあったそうです。
さらにモアイの背中には彫刻がされています。
(この2枚の写真はお借りいたしました。)



「モアイ像」の石は火山灰が堆積した凝灰岩で出来ており、
風化が加速している。
倒されたモアイは砂になっていってるよ。



制作途中「モアイ」至る所にあるよ。




相手の「モアイ像」を倒して食料を奪い合う
ことをやめて、部落を統一する鳥人儀式行うようになる
「オロンゴ」の島に海鳥の卵を持ち帰る速さを競う戦士を
各部落から選出して、取ってきた戦士の長が鳥人になって
治めるようになる。しかしそれも長く続かず、
いくつかある岩穴の中に傷ついた人骨が発見されて
現地ガイドによれば「岩穴・食料・人間」で絶滅か?
その後オランダ人イギリス人が上陸して、原住民はいずこへ?



帰国した昨晩、BSで「モアイとイースター島」の
2時間スペシャルをしていました。
注目の1つで正座している唯一のモアイ像の事ですが、
この番組では、DMA鑑定の結果、先住民はポリネシア人ではなく、
日本のお隣りの台湾ではないかと言われていましたが、
現地ガイドさんは、正座の習慣ある日本人がモデルではないかって
ここ米軍の基地もあったようで、
また日本にイースター島を購入したらばの話も
あったようですよ


イースター島は周囲60キロの小さな火山島です。
3つの噴火口があり溶岩と火山灰の凝灰岩で出来て
その中の一番大きな噴火口です。長い時間で森林を
形成していたけど人類が上陸してほんの短い時間で
島全体をハゲ山にしてしまいました。
1995年にユネスコ世界遺産に登録されたのですが、
再生には超膨大な時間が必要ですよね。
パワーストーン地球の「へそ」だそうです。
ガイドさんのお話しでは「手塚治虫」氏が
見つけたそうですよ


「テビ・ト・ラク」パワースポット

夕日を観に行きました。午後9時頃沈みます。
「タハイ儀式村」へ



唯一目があるモアイです。目はサンゴ出来ています。
この島犬・猫・馬・牛が自由に放し飼いで島中いたるところいます。


このサークルは原住民が部落皆の食料を蒸し焼きにしていた
名残なのかな?こんな儀式に招待されたよ
主食のタロイモや魚を蒸し焼きにする。
仕上がるまで感謝の踊りをしていました。




マチュピチュが目的でしたが、興味はイースター島にありました。

このモアイの台座の石組真ん中の小さい石これと同じ組方を
18年前に行ったエジプトで見た石組と全く同じで
その時イースター島にもあると聞いて確かめにやってきたのです。
時代が違い遠く離れていても同じ組方で頭の中は?????


事業イメージを膨らませて、山本浩扶臣氏語る

こんにちは いかがお過ごしですか
魚稲の国淡路島の「高田酒店」高田さとみです。


事業イメージを膨らませて、山本浩扶臣氏語る


事業イメージや西海岸の印象を語る
午後7時より育波公民館で



西海岸を車で回る。







美しい!美しい!の連発です!



淡路の魚の水炊きこんな時間帯どこもやっていないので自宅です!
午後10時やっと夕ご飯


まほろばホールディングスの山本浩扶臣氏来る

こんにちは いかがお過ごしですか
魚稲の国淡路島の「高田酒店」高田さとみです。


西海岸の玄関口を考える会を立ち上げる!


淡路島の西浦海岸の活性化を図ろうと
1年以上取り組んでいます。毎月第3金曜日の午後7時より
育波公民館で14回の定例会を開いています。
どなたでもご自由に参加できます。



今回は奈良県へ行ってきました。
色々な心配事が目から「うろこ」の如く
理解できてきました。



今回はまほろばホールディングスの山本浩扶臣氏にお会いすることができました。
貴重なお話したっぷり聞かせていただきました。

感動の連続でわくわくしてきました。
そこで皆さんに逢わせたく淡路島に来ていただくことになりました。
3月17日(金)午後7時より育波公民館です。どなたでも自由にご参加できます。

この冬一番の寒気が来るときに白川郷へ

こんにちは、いかがお過ごしですか
魚稲の国淡路島の「高田酒店」高田さとみです。


この冬一番の寒気が来るときに白川郷



白川郷のライトアップをみに来ています。
この冬一番の寒気がやってくる
その日に猛吹雪に向かって出発しました。
無謀な事よね!
帰りがけになってやっと
吹雪が収まり
写真撮る気になりました。

翌日は下呂温泉
ここも寂しくなりました。




今では、文部省推薦の下呂温泉ですが
一方つまらない温泉地になったと
タクシーの運転手さんのお話。



野口雨情の歌碑が14俳句あり、
温泉街はシャッター通りに変貌しつつあります。