夏の平和教育 長崎の旅3日目は「軍艦島」

こんにちは いかがお過ごしですか
魚稲の国淡路島の「高田酒店」高田さとみです。




夏の平和教育 長崎の旅3日目は「軍艦島





 


長崎港を出発


 


長崎半島の先端に三菱石炭採掘場「端島(はしじま)」   
東西160メートル、南北に480メートル
ここに最盛期5300人が住んでいた
畳2畳で9人の人工密度、当時東京の10倍


 


ここでも語りべの方のお話を聞きます。

正面は三菱社立小学校、4階からは三菱社立中学校、隣は病院        
右の写真の岩の上の建物は幹部職員棟(トイレ、風呂)完備





  


1891年から83年間日本の近代化に向けて
24時間3交代で海底炭抗1000メート地下から1570万トンの石炭を採掘していた。
気温30度、湿度95%さぞや過酷であったことでしょね
爆発で亡くなった方や怪我をした方が沢山いました。



仕事の後はまず海水の風呂で服と身体を洗い、もう一度海水の風呂に入り
最後に真水の風呂に入って家に帰ります。




   


窓のない建物は水のタンク





これは子ども達の25メートル海水プール
コースのタイルが残っています。
5千人分の汚水が流れるので、海での水泳は禁止になっていたようです。



   


ここは居住地。
高層鉄筋コンクリートアパートのビルは日本で初めての建設です。
東京ではなく長崎で、しかも小さな端の島です。
7階建て、しかもすべての家庭にテレビ、洗たく機、冷蔵庫が完備されている。
当時私の家にはまだなかったと思います。



 


再び乗船元々はこの岩場だけが島で、3回に分けて埋め立てして現在の形になる。



真ん中が変に壊れているのは、                       秘密文章などを持ち出されないので爆破した後だそうです。



  



鉄筋コンクート7回建て、保育園はビルの屋上で、エレベーターがないので毎日階段を上り下りして通う。



   
   


この町には何でも有りました。
床屋、パチンコ、映画館、ダンスホール、食堂、スーパー、銀行、郵便局
ただ土地がないので、バケツに土を入れて7回屋上へ運び菜園をしていたそうです。



一番大変が台風の時、ビルがまるごと波をかぶり、木造家屋は吹っ飛んだそうです。



お風呂は共同風呂5000人が入ります、便所も共同便所です。
ただ管理者は各部屋に風呂付きトイレ付きです。





  


ライフライン
当初は自家発電ででしたが、海底ケーブルで送電されるようになる。
水道は対岸の三和町から6500メートルのケーブルが引かれるまでは、海水を蒸留して使用。
風呂の水は海水を沸かしたもので、真水はあがり湯だけしか利用出来なかったようです。





石炭が石油に変わり今から37年前に無人島になる。
2009年1月に世界遺産暫定リストに掲載される。
天候の都合で一年間に100回ほどしか上陸できない。

またこの島は高層鉄筋アパートが林立しているため軍艦に間違えられ
砲撃を受けた。





オーバーな言い方を許してもらえば、
人類の滅亡の縮図を見たように思えた。
近代化へ向けてばく進して、結果は廃墟。